私が開院した理由

海外旅行中の腰痛がきっかけ

2000年の春、当時会社勤めをしていた私はお得意様と
中国の上海へ旅行へ行っていた時に、
滞在中のホテルで腰痛を経験しました。
その当時、医学的な知識は全く無く免税店で買った塗薬で
その場をしのいでいました。
言うまでもなく一向に痛みが引かず・・・。
私は我慢できず、ホテルのマッサージスタッフを呼びました。
そのスタッフの方は言葉は通じませんが、
終始笑顔で治療をしていました。
治療は腰だけで終わるかと思っていたら、脚や背中、頚まで
マッサージしてきてました。
しかし、終わってみると痛みが軽くなっていて、
翌朝までぐっすりと眠れました。
朝起きると腰の痛みは無く旅行の残りの日程を
楽しむ事ができました。
ホテルで治療して頂いたマッサージスタッフの方には
感謝の気持ちでいっぱいでした。
この経験が後に治療家を目指すきっかけになりました。

 

会社退職と母の死

2005年3月、私は約10年勤めた会社を退職しました。
退職する数か月前から人生の事について自問自答をしました。
当時、私の母は癌で闘病中でこれから将来の事を考え、
3月下旬に周りの方々に惜しまれつつ会社退職を決意しました。
退職後に職を探しても見合う会社が無く悩んでいたある日、
叔母さんからの一言で一筋の光明が見えました。

「あんた、温かくて良い手の形をしているから、
整体師などの治療家を目指してみたらどう?」と。

一瞬、ピンとは来ませんでしたがインターネットなどで
この業種の事を調べていくうちに、
治療家という業種が素晴らしいものである事を知りました。
定年退職は無く患者様には感謝される上に報酬もいただける、
そんな素晴らしい職業は治療家をはじめ医者や歯科医以外に
他には無いものです。
それと同時に2000年の中国旅行中に起きた経験を思い出し、
3月30日に治療家への道を進む事を決意しました。
その翌日の3月31日の未明、自宅療養中だった母が天国へ
旅立って行きました。
葬儀が終わった数日後、聞いた話によると母も私には
会社で使われて働くより手に職をつけて今後の人生をしっかりと
歩んでほしいと願っていたようです。
きっと亡き母は私が治療家を目指す事を決意をしたのを
見届けて安心して天国へ旅立ったのでしょう・・・。
現在もその出来事を忘れず治療家として、
私は日々研鑽しています。

 

苦労だらけの専門学校時代と骨格矯正との出会い

2005年12月、一通の速達が私宛に来ました.
米田柔整専門学校からの合格通知でした。
これで国家資格を取得できる学校への入学が決まり、
翌月の2006年1月より名古屋市西区の鍼灸接骨院で
スタッフとして働く事になりました。
4月になり専門学校の講義が始まり昼までは鍼灸接骨院で
仕事をして夜は講義というライフスタイルでした。
ところが、9月末になり職場の都合で退職する事になりました。
しばらくの間、仕事無しの柔整専門学校のみの生活になり、
これはいけないと思い12月より整体・カイロプラクティック術を
学べるスクールへ通う事にしました。
実は鍼灸接骨院にいた時に整体やカイロプラクティックを
しているスタッフがいて、常に患者様から喜ばれ
感謝されている姿を見て私もそうなりたいと思っていました。
週3日午前中は整体スクールに通い、
2007年3月には縁があって当院を開業する前に勤務していた
中区にある接骨院に午前週3日働く事になりました。
ところが3月上旬、専門学校で柔道の講義中にケガをしました。
当時クラスの中で柔道が最も下手くそな私で、
相手に背負い投げされた際に受身を瞬時に取れず頭から畳に強打。
そして頚椎を捻り、その瞬間両上肢に感覚が無くなる・・・。
少しすると、圧迫された神経が回復する際に出る千枚通しを
突き刺したような神経痛が現れしばらく苦痛に悩まされました。
翌日整形に行きレントゲンを撮って見ても異常はなく、
ビタミンB1・B12などの薬をもらうだけで何も解決せず・・・。
困っていたある日、整体のスクールで骨格矯正の実技があり、
たまたま先生の実技の見本で頚椎の矯正をしていただきました。
矯正される時にとても怖い感じがしましたが、矯正された瞬間に
「パキッ」と音がしたと同時に肩や腕に現れていた痛みやだるさが
ウソみたいに無くなっていました。
これがきっかけで、接骨院を開業した時は骨格矯正を
必ず取り入れようと決意した瞬間でした。
頚を矯正して頂いたスクールの先生へ本当に感謝しました。
そして現在当院で行っているスタイルの
骨格矯正との出会いでもありました。
時は過ぎ2007年12月末に整体スクールを修了し、
整体師となりました。
その後、専門学校在籍中は朝~昼まで整体師として接骨院勤務、
夜間は学校の生活パターンになりました。
在学中の勉強方法ですが、毎朝接骨院まで出勤する時に
利用していた地下鉄の中で約30分間問題集を解いたり、
教科書などを読んだりていたりしたのがほとんどでした。
柔道は下手でも、勉強は誰にも負けないぐらいしていました。
2009年3月に勉強や柔道で苦労した柔整専門学校を卒業、
柔道整復師国家試験に合格しました。
引き続き前の職場で開業まで臨床経験はもちろん、
接骨院経営の方法などを学びました。

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私の思考を180度変えた微弱電流治療との出会い

しかし、開業を考え始めた2011年の夏頃、
院で行う治療の際に取り入れる器械に悩みました。
開業前の私としては電気治療をあまり信用していなく、
前職場のように手技療法をメインに院を経営しようと
考えていました。
ただ、将来的に来院で混雑する事を考えると低周波などの
電気治療を入れる必要があると考えはじめました。
電気治療器を導入する事に決めた時に、
インターネットで調べていると「微弱電流(マイクロカレント)」という
キーワードがなぜか引っ掛かりました。
メーカーを調べると地元名古屋にあるとの事で、
早速メーカーのショールームで実際に受けてみる事にしました。
実は電気のビリビリが苦手な私、受ける時も正直嫌な気持ちで
いましたが、全身通電で受けてみると電流が流れる感じが
ほとんどしませんでした。
電気が苦手な方でも安心して受けられると確信しました。
その当時、私の腰の調子が良くなかったのですが、
通電後は痛みが無い上に動きが良くなった事に驚きました。
しかも調子が数日間持続しましたので二重の驚きでした。
金槌で後頭部を殴られたぐらいの衝撃でした。
この経験で電気治療に対する考え方が180度変わりました。
ここで微弱電流治療器の導入を決めました。

 

最短期間で根本治癒を目指す接骨院を開院

2011年9月5日、開院2日前の内覧会にて
50代のご婦人様がお越しになりました。
お話を聞くところ、整形外科で交通事故の治療を受けているが
なかなか頚や腕の痺れが改善しないとの事。
そして、好きなテニスなどのスポーツができないと悩んでいました。
早速、試しで微弱電流治療を受けていただいたところ、
通電前に小さかった頚の可動域が回復し痛みなども引いていました。
翌日になりそのご婦人様からお電話を頂きました。
「昨晩はここ数日に無いぐらい睡眠が取れ楽な寝起きだった」、
とのことでした。
さらに、
「翌日の開院初日から整形外科から当院に通院したい、
主人も一緒ですがよろしいですか・・・」と、
嬉しいお言葉を頂きました。
もちろん当院は受け入れまして、9月7日開院初日から2人の
交通事故治療の患者様を迎え入れる事ができました。
これで微弱電流治療が本物で確信できる物と私はそう思いました。
その後、微弱電流治療がクチコミのキーワードとなり、
この患者様のご紹介で何名か当院に来院されています。
当院で微弱電流治療を受けられる患者様が大多数を占めてきました。
今まで手技療法一辺倒な思考だった私でしたが、
この微弱電流治療との出会いで手技でも改善できない症状を
改善できると確信し、現在では根本治療の一環として、
背骨・骨盤矯正、カイロプラクティック、手技療法に並ぶ
自費治療の柱となっています。
受身的な治療にならず、患者様と二人三脚で根本から症状を
改善させる治療をする接骨院は、私がまさしく理想としているものです。
その理想形の接骨院を開院するのが私の目標でした。
現在は当院オリジナルの「TKO整体」を以って、
患者様へオーダーメイド治療を行い、
根本から改善させ、患者様へ笑顔と元気をお裾分けをしています。

2014年12月に移転の為に「くろさわ台接骨院」を閉院し、
2015年3月25日、三重県員弁郡東員町の地に、
桑名ネオポリス整骨院として再開いたしました。

そして「TKO整体」を徐々に広め次世代の治療家を
多く育て上げる夢に進んでいるところです。

 

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